飯田 裕貴子
飯田 裕貴子
株式会社環境管理センター
アスベスト対策事業部
高知大学 医学部
略歴
労働衛生工学を専門とし、アスベスト等の粉じん測定手法、粉じん対策で使用する呼吸用保護具・一般環境で使用するマスクの研究に携わる。大阪府立大学大学院修了後、赤田善、日清医療食品、労働科学研究所の研究員、産業保健協会の研究開発グループリーダーを務める。2015年10月~2019年9月に東京工業大学大学院博士後期課程に社会人学生兼リサーチアシスタントとして席を置く。2019年10月より環境管理センター アスベスト対策事業部 技術部長。2020年4月より高知大学医学部 客員助教。バラエティ番組『マツコの知らない世界』(TBS系)、情報番組『あさイチ』(NHK)にマスク研究家として出演。New York TimesやPresident Woman Online、朝日新聞などマスクに関する取材記事多数。
現在のお仕事について教えて下さい(業務内容や日々のお仕事中の様子など)。
所属しているアスベスト対策事業部には20人ほどのアスベスト調査・分析の技術者、またコンサルタントが所属しています。私の主要な業務は、環境省や厚生労働省などから受託しているアスベスト案件について、必要なデータを取るための実験計画の検討、実験データの解析や報告書作成です。国が今後の政策を検討するためのデータ取りに関わることができ、責任とやりがいを感じています。フィ―ルド調査や検証実験と学会等での情報収集や論文執筆など、バランスよく現場と学術の両方に関われる職場です。部署の垣根を超えて、作業環境測定や個人ばく露測定、化学物質リスクアセスメントに関わらせて頂くこともあります。
学生時代についての思い出(例:所属サークル)や当時考えていた将来の方向性について教えて下さい。
修士課程で研究は自分に向いていないと思い、卒業後就職しました。しかし、労働科学研究所で研究員として仕事をするうちに、産業衛生分野で仕事を続けるためには博士課程に入り研究の仕方を勉強しなおす必要があると思うようになりました。あるアスベストの論文を読んで内容のすばらしさに鳥肌が立ち、その論文を書かれた先生の研究室に2015年に入学しました。博士課程での勉強を経て、労働環境などの産業衛生だけではなく公衆衛生も研究対象となり、また環境測定・分析の手法改善だけではなく、それを使用する技術者への教育、また環境測定や現場管理を行う社会システムの構造的な問題など、社会科学的な視点も研究テーマに加わるようになりました。
産業衛生の道を志した時期(年齢・年代)やきっかけについて教えて下さい。
2006年に労働科学研究所に研究員として入所したことが、産業衛生の道に入ったきっかけです。入所当時29歳でした。研究所では、環境測定グループに所属しており、アスベストと呼吸用保護具研究の指導を受けることができました。また兼務させて頂いた国際協力グループでは、ベトナムなどの諸外国で参加型改善活動(Participatory Action Oriented Training)に取り組まれている様子を拝見しました。他グループでも、疲労やヒューマンエラーなどの研究を行っており、研究所の諸先輩方が根気よく愛情深く産業衛生の研究に取り組む姿を拝見するうちに、段々と、産業衛生に愛着を感じるようになりました。
新人時代の思い出について教えて下さい。
労働科学研究所に入所してから5年ほどは、先輩の研究の手伝いをし、また自分の研究内容について試行錯誤しては先輩研究者に内容を報告して、助言を頂いてまた実験、という日々を過ごしていました。実験は好きでしたが、学会発表は苦手でした。入所約1年後に学会発表をさせて頂いたのですが、緊張して、発表後ステージから降りる場所を間違えて降りたことを覚えています。産業衛生技術分野の先輩たちも、当時は少し怖い、自分とは別世界の人達に見えまして、遠巻きに見ていた覚えがあります。今振り返ってみると、産業衛生職のキャリア開始時は、研究はしていたものの、学会活動などにはあまり積極的には参加できていませんでした。
人生における転機やキャリアプランに関わる大きな出来事がありましたら教えて下さい。
2016年に労働科学研究所が移転することになりまして、移転後は環境測定グループの分析機器などの設備は維持できないと聞いていました。私は環境測定グループでしたので、測定器がないと仕事ができませんから、研究所から退職せざるを得ない訳です。研究所に籍を置いている期間に限りがあると認識した時に、これまで先輩研究者に教えて頂いたこと、自分が行ってきた研究、産業衛生に関係する先輩達との交流などに、自分が強く愛着を持っていることに気づきました。遅いのですが、そのタイミングで、どうすれば研究者として産業衛生分野に残れるのかと考え、以前から希望していた博士課程へ2015年秋に入学しました(当時38歳)。
転機を越えた後の新たなキャリアにおける思い出を教えて下さい。
環境管理センターに2019年10月に入社し、11月にはアジア産業衛生ネットワーク学会へ参加させて頂きました。入社直後でしたので参加は難しいと思っていましたが、上司に事前に相談したところ、入社前に演題申し込みをしておいて、入社後に参加費等清算できるように段取りして下さいました。また、IOHA(国際労働衛生工学協会)2020がコロナの影響で2021年9月に延期になったのですが、IOHA2021にも演題を出させて頂き、アブストラクト・アワードを受賞しました。国際学会への参加を認めてくれる会社のお陰で、受賞できたと考えています。会社が、私が研究者として成長するように応援して下さっていると感じますので、今後恩返しができるように努めるつもりです。
本学会との関わりやメリットについて教えて下さい。
学会参加では、最先端の情報を収集することに加えて、発表を行うことを重要視しています。学会発表や論文投稿は、日々受託している業務に含まれる有益な情報の共有化という社会的意義があります。また、社内的意義としては、①発表資料の構成を考え発表後の質疑応答を経験することで、業務内容に対する理解が深まり、見えていなかった課題などが明確になり、次の業務の品質向上につながる、②業務内容の広報になる、と考えています。
また、学会で産業衛生の同分野に関わっている技術系研究者や立ち位置の少し異なった産業医や産業看護職の方々と話をすることは面白く、学会での交流自体が研究を進めるためのモチベーションの一つになっています。
これから産業衛生の道を志す方々に向けて、メッセージをお願いします。
産業活動の現場では、化学物質へのばく露、ストレスやコミュニケーションエラー、高年齢労働など色々な問題が起こります。自分達の職場で起きる、自分達の専門分野外の問題も含めて、多面的な議論が出来ることが日本産業衛生学会の魅力だと考えています。私は他分野の方達との交流で(仕事に役立つという下心を持って交流している訳ではありませんが)、困った時に役立つアドバイスをちょくちょく頂いています。ぜひ、分野を限定せずに、また年齢差を気にせずに、魅力的な発表をされている方には話かけて友達になって下さい。学会活動を楽しむことから、良い産業衛生活動が生まれるような気がしています。